○○○○○について
祖母の健康法
我々の関心事に「健康志向」があると思いますが、ちょっと違った見方をしてみます。
私の祖母の話です。祖母は98歳で30年以上前に亡くなりましたが、その直前まで仕事をしていました。その仕事とは「カミサマ」です。神様ではありません。津軽地方では「神」と仲立ちする人を「カミサマ」といいます。(信者の悩み事を聞いて、神のお告げを告げる)
その祖母の生活ですが、健康の一般常識からして正反対そのものです。まず食事ですが、肉・魚を口にしないだけでなく、栄養バランスと全く関係ない粗食そのものです。(よく見てみると・・菓子や 外食・加工食品など添加物のあるものは食べていない)
家には電化製品が電球のみの粗末で、薄暗い家屋に住んでいました。もちろんテレビ・冷蔵庫などはない。そこへ連日、県内外から多くの悩みを抱えた人が祖母を頼って来ていました。信者は囲炉裏の周りで雑談をしながらのんびりと何時間も過ごしていました(たまり場のような場所)。そのような生活を40年以上も続けていたのです。
このような常識的な健康法とは全く関係のない生活を長年おくっても元気で長生きできるということがあるのです。これはどういうことかと不思議なことですが、神仏への信心とか、周りに頼りにされる精神的な心の支えが身体・精神を活性化していたのではないかと思っています。勿論これだけではありませんが、人間の持つ秘められた生命力を引き出していくのも、健康の一方法かも知れません。
『ガン闘病記』奇跡
1.海外マラソンで血尿
定年退職してから台湾の玉山(ぎょくさん)(旧名・ニイタカ山)や韓国最高峰・済州島のハルラ山など毎年、海外へ出かけていた。平成26年はオーストラリア東海岸ゴールドコースト・マラソン大会(42.195㎞)へ出場した。ハワイのホノルル・マラソン大会以来久しぶりである。
大会早朝に郊外の競技場をスタートし、海岸沿いの平坦な道を沿道の応援を励みに走る。景色のよい海岸線から再びゴール前で大勢の声援を受けながら5時間半でゴールした。休憩・昼食後の昼過ぎにホテルに戻りトイレで小用をしていたら、便器がコーヒー色、いやそれよりも真っ黒になっていた。「たぶん久しぶりのマラソンで疲れからだろう」と思い、一風呂浴びて休憩し、夕方には普段と変わらず町へ食事や買い物などブラブラして過ごした。翌日、シドニー等を観光して帰国した。
しかし帰国後、何か気になり市民病院に出かけた。そこで何回かの検査・診察後に内視鏡検診をすると「膀胱がん」が見つかり、手術入院することとなった。内視鏡手術で癌を削り取り、数日後に無事退院する。その後は、普段と変わることなく1年が過ぎた。
2.再発・ステージⅢb
しかし、翌年(平成27年)8月の定期検診で、内視鏡を入れてすぐに「着替えて診察室に来て下さい」と言われた。急いで行くと、担当医が深刻な表情で「大学病院へ紹介状を書くのですぐに予約を取って下さい」という。『筋層浸潤性膀胱癌・ステージ3b(筋肉・脂肪層まで癌が浸潤、リンパ節まで転移)』で深刻な状況となっていた。最終ステージの一歩前まできていた。
翌週の大学病院での診断は「抗がん剤治療後に膀胱全摘手術が最適」の説明を受ける。その後、他の方法について医師と検討してみたが、ほかに選択肢が少なく、この治療が最適との結論になる。覚悟を決める。
3.抗がん剤治療(化学療法)と全摘手術
8月末に入院。術前抗ガン剤点滴が始まる。新型の抗ガン剤は副作用が少ないということだが、それでも薬の影響で食事がのどを通らない。歩くのもしんどい状態が4.5日ほど続く。何とか動けるようになってから2週間後に、退院した。
2週間の自宅静養後の10月に2クール目の抗がん剤治療をして退院する。動きも鈍く、髪が抜け、体重も落ちた。慣れたとはいえつらい日々が続く。
そして、11月に入ってすぐに9時間以上にわたる大手術を受ける。目が覚めたら集中治療室(ICU)病棟に横たわっていた。体は動かない。体が大きく変化したのが分かる。
翌日に一般病棟個室に移され、リハビリが始まる。10メートル歩くのやっとであったが、何回か繰り返し歩いた。「手術後これほど歩いているのは初めて」と言われた。足腰だけは鍛えた甲斐があった。
やがて食事も点滴から普通の食事になり、術後の経過やリハビリも良い状態になったので12月中旬に退院することになった。1か月半の長期入院であった。
退院にあたって主治医との面談で今後の治療は、念のために術後抗がん剤治療を3クール(3ヶ月間)するというものであった。まだ、予断は許されない。
4.免疫療法
12月の退院後、術後抗ガン剤治療まで1ケ月あるので、ネットを含めて連日情報を収集する。さらに「癌治療」に関する本を何冊か購入し、調べた中から免疫療法治療をしているクリニックを数か所に連絡する。すると豪華なパンフレットや冊子、CD等が送られてきた。その中から著名な東京のクリニックに連絡してみた。治療内容や方法について色々聞いてみたら、すべて自由診療のため300万円以上の前金支払が必要(返金不可)とある。さらに加えて処々の費用が次から次とかかるという。合計すると4・500万かかる。治療は採血をして免疫細胞を培養して増やし、再び点滴を2週間ごとに5回繰り返す。多額の金額がかかるが、それでも何とかなるかなと思い、予約を入れてみた。翌日、東京へ通うためにJR「スイカ」カードを購入し通院の準備をした。
しかし、しばらく冷静に考えてみたら、高額のわりに完治は疑わしいのではないかという情報を思い出し、受診診察の3日前に緊急入院を理由に予約をキャンセルすることにした。
5.リンパ節転移と血栓
年が明け、平成28年の正月を自宅で過ごし、確定申告や車検申請等の様々な用事を慌ただしく済ませる。1月中旬に『術後補助抗ガン剤』治療のため2週間ほど入院して退院する。次の2コース目の抗がん剤治療まで2週間ほどの間に、近くのクリニックでも免疫療法をやっているということで診察を受ける。採血をして、樹状細胞やNK細胞などガン細胞を攻撃するリンパ球を総合的に増やして点滴する方式で、高額とはいえ東京の半額で済む。これを月に1回(計5回)ほど受けることにした。(実績はあるという)
2月に初めに、2クール目の抗ガン剤治療で10日間入院。退院1週間後に3クール前のCT検査のため大学病院に行く。CT検査と会計後に近くで食事をとっていたら携帯に電話がかかってきた。「今どこにいますか?すぐに来てください」という。診察室に行くと主治医が「緊急入院が必要です。『骨盤多発リンパ節転移』と『深部静脈血栓』が見つかりました」という。「下腹部に大きな静脈血栓が見つかり、すぐ治療しないと血の塊が心臓や脳に飛んだら助かりません。危険な状態です。」という。緊急処置が必要で入院準備のために車で家に帰って往復している場合ではないと言うので、とりあえず病院売店で洗面道具等を買って、いつもの病室へ行く。そしてすぐに血栓を溶かす点滴を24時間・2週間つけっぱなしとなる。退院後は血液をサラサラにする薬を2か月以上飲み続けなければならない。その間、血が固まりずらいのでケガをしない慎重な生活をしなければならなくなった。これから抗がん治療という前に厄介な治療が優先されることとなった。またまた不自由な入院生活をすることになった。
3月の退院にあたっての面談で「今使っている抗ガン剤が効かない。残された治療は副作用が強い旧型の抗ガン剤しかない。ただ国立がんセンターで新薬の治験が可能か診断を受けてきて下さい」というので3月中旬に東京築地にある国立がんセンターに1日がかりで診察・面談を受けたが、結局適合しないということで、できなくなった。もう治療の選択はなくなった。いよいよ深刻な状況となってきた。
6.温熱療法
3月下旬、退院後に自宅で何か治療法がないか調べていくうちに「温熱療法」というのを見つけた。「ハイパーサーミア」という上下からラジオ波(高周波)を出して深部体温を46度以上に上げてがん細胞を死滅させるというものである(電子レンジのようなもの)。ありがたいことに保険適用で1回千円程度である。埼玉の病院が1番近かったので予約をとり、抗がん剤治療前の4月から治療に通うことにした。藁を掴む状態で免疫療法と温熱療法という治療法を試してみることにした。
7,腸閉塞と緩和ケアー
ところが最終治療の4月2日に下腹部に激痛がはしり一晩中寝ることができず、翌日救急で診察を受けることになった。診断は「腸閉塞」である。手術の影響で腸がねじれて詰まることがある。即入院となる。鼻からチューブを胃腸まで通し、体液を吸い出す治療である。真っ黒な体液が袋に溜まっていく。勿論、食事は無しで、点滴で水分と栄養を補給し、体がチューブだらけとなる。のどが痛い状態が続くし、点滴と袋をぶら下げてのカートを24時間つけっぱなしで身動きが辛い。2週間後にチューブが外され、重湯からスタートし、徐々に普段の食事になって退院する。
その退院前に、主治医との面談で「これからの治療をしても厳しいことが予想されます。ご家族と一緒に緩和ケアー担当医との面談をした方が良いのではないか」ということで、5月の連休明けの入院治療時に診断予約を入れておくことにした。
4月末、抗がん剤治療が始まる前に最初の温熱療法を受ける。約40分ほどラジオ波を受けて体内温度を上げていく治療で、今後は抗がん剤治療と組み合わせていくことにした。
いよいよ、抗がん剤治療のための入院生活と最終段階・終末医療の『緩和ケアー』治療が始まる。覚悟の生活である。
8.最終治療と主治医の宣告
連休明けの5月上旬、最終段階の治療入院に入る。入院翌日から厳しい旧型抗ガン剤治療が始まる予定である。この抗がん剤以外の選択肢はない。これが効かなければ、もう治療の手段は残されていない。新型で効かなかったものが旧式で効くとは到底思われない。主治医からも最終医療「緩和ケア」治療入院を受けるように言われている。ショックだが現実を受け入れる覚悟はできている。そして3日後に、家族とともに緩和ケアーの準備のため、緩和担当医師と担当看護師等との面談を受ける予定である。いよいよ終末医療の準備をすることになった。余命宣告の覚悟を決めたが、気持ち的には落ち着いていられた。
入院して2日目の朝6時、当番医師が点滴の針を入れ、まず抗がん剤から体を慣らすため、生理食塩水をセットした。そして数時間後には、辛い抗がん剤治療に入ることになる。覚悟をきめながらベットで横になっていたが、予定時刻が過ぎてもきてもなかなか治療が始まらない。
9時すぎになって主治医が慌ただしく病棟へ来て「鳴海さん、すぐに面談室へ来て下さい」と言う。「やばいな。治療が厳しいのかな」と思って点滴をつけたまま行くと、主治医が「鳴海さん、点滴は必要なくなりました。CT画像を何度みても、よく分からないが癌が小さくなっている。」「他の医師とも協議していたので時間がかかったが、すぐ退院してもいい状態になっています」と言う。何が起こったのか何だか分からず説明を聞くが、「このような例はほとんどない」とのことで、まさに「奇跡が起こった」としか思われない。医師が考えられるのは「血栓の影響かもしれないが、実はよく分からない。」ということであった。10分程度の面談であったが、フルマラソンを完走したような開放感に包まれた。
すぐ退院しても良いのだが、会計や家族との連絡もあるので翌日にした。その間に入院担当医師が来て、3月に撮ったのと今回とを比較したCT画像のコピーを持ってきて説明をしてくれた。リンパ節転移があった3カ所の内、23ミリと11ミリの癌2カ所は消えて、16ミリの方は半分の8ミリになってしまっている。このようなことはほとんど例がないという。奇跡的かもしれない。ともかく良い方向に向かったことだけは分かった。ジェットコースターのような一日であった。翌日、晴れやかな気持ちで退院できた。
さっそく 退院翌日に、あきらめていた畑仕事を再開することにした。夏野菜(キュウリ、トマト、ナス等)の苗を買ってきて急いで植え付けた。ギリギリ間に合ったが、収穫には期待が持てない。まだ体力的には厳しいが、それでも何か充実した気持ちで生き生きしてきた。
その後、8ミリの方は6月に5ミリ、7月には消えていた。何がおきたのか「奇跡的」というしかないが、良い方向になったことだけは確かである。
9.退院後の生活
その後、少しずつ体を動かし、軽いウォーキングからジョギングまで徐々に体を動かし、半年後には普段に近い動きになってきた。そして退院翌月から毎月、ラジウム温泉での湯治と、毎週の温熱療法(ハイパーサーミア)を続けている。
そして1年後には、10㎞のマラソン大会に数回出場するまでになり、登山も近隣だが少しずつやり始めてみた。昔ほど体は動かないが、ともかく元気になっただけでもありがたいと思う。
食事も気をつけるようになり、納豆等の発酵食品やヨーグルト、ニンニク、蜂蜜を毎日とるようになった。サプリメントは腸閉塞と便秘予防を兼ねて酵母・乳酸菌錠剤とフコイダン錠を服用している程度である(月・千円位)。
◎雑感(自分なりの見解)
1.まず抗ガン剤で、全体的にガン細胞を弱らせてから、大きなガンの塊を取り除く全摘したことで主要ガン細胞をほとんどなくしてしまったこと。
2.それでも「リンパ節転移」でガンが移動し残ってしまったが、主要な場所から逃れてきたガン細胞をリンパ節という砦でリンパ球が戦っていた。そこへ免疫療法で活性化したナチュラルキラー(NK)細胞などのリンパ球が大量に応援に入ったため、さすがのガン細胞も弱体化したのではないだろうか。
3.同時に、温熱療法でガン治療だけでなく、ヒートテックプロテインがでて免疫力も向上したために、身体全体にわたって抵抗力がついたこと。
4.また、2カ所のラジューム温泉に毎月湯治に通ったこと。もちろん湯治だけでの完治は難しいが、手術後の回復期には適しているものと
思われる。それより、常連客のほとんどがガン経験者のため、お互いの体験談を開放的に話ができる。そのことが精神的に良いのではないだろうか。
5.食事も大切である。麦・穀物、酢+納豆、ヨーグルト+ハチミツ、ニンニク、しょうが、オリーブ油、はちみつ、がごめ昆布とろろ、青汁など今までの食生活を見直したこと。
6.運動を含め適切に体を動かすこと。今までの登山やマラソンなどのレベルを落として気持ちよく続けていったこと。
以上、医療行為に頼るのは当たり前だが、それだけでなく食事・運動・休養を含めて複合的、長短期的にあらゆる可能性を信じて、自分に合った方策を実践することが必要だと感じている。
*経験上から「ガンを克服する」方策
※食事を見直す
基本食
◎サラダ(ブロッコリースプラウト、玉ねぎ、キャベツ、トマトを主に。食事毎にレタス、胡瓜、ニンジン、大根、ブロッコリー等を加えてバラエティーにする)それにオリーブオイルとレモンをかける。(野菜、キノコ類の煮物・焼き物やジュースにしても良い)
◎ヨーグルト(+ハチミツを加える) ホットヨーグルト(+青汁または野菜ジュースを加える)
◎味噌汁(+とろろ昆布とキノコ類を加える)塩分に留意し具沢山にする。
◎納豆(+モズク酢、黒酢、アマニオイル、しょうがを加える)とろろ、おくら、めかぶ等変化をつける。
※上記を基本的にして、それぞれを一日1・2回、変化をつけながら毎日とる。
◎その他・・ニンニク(黒酢ニンニクまたは黒ニンニク)と生姜をとる。お茶とコーヒー、チョコレート(80%以上)を適時。
植物性乳酸菌のキムチ、ぬか漬けは塩分に留意しながらとる。または植物性ヨーグルトなど乳酸菌を多量に。。
※以上、野菜・果物を中心に栄養バランスを考慮してしっかりとる。ただし、塩分、糖質、脂質や肉類は控える。
※サプリメント
基本的に必要はないが初期の栄養補給と腸内環境の為に「ビール酵母」と乳酸菌錠剤やフコイダン錠剤
ビタミンⅮ(一般的な効果は認められないので、気休め程度に留めておく)
※ラジウム温泉(2~4泊程度)
ガンに効くといわれるラジウム温泉だが、はっきりした効果は認められてはいない。しかし旅館の方々や多くの諸先輩や同士が集まっていて色々な体験談を聞かせてくれ、和やかな雰囲気と環境が精神的に安定し、心と体の免疫力を上げてくれる。
(山梨・増冨温泉。福島・三春温泉など)
※温熱療法(週1回)
「ハイパーサーミア」と呼ばれ、ラジオ波が体の内部を43度以上にしてがん細胞を弱らせる。しかもハイパーサーミアは保 険適用で安価であり免疫力・抵抗力がつく。医学的エビデンスが証明されており、薬や放射線のような副作用はない。
※参詣・運動
可能な限り毎日、近くの神社(お寺)へお参りする習慣をつける。寺社にお願いをするのではなく「感謝する」気持ちが大切で ある。精神的にも心が安定してくる。また寺社へ散歩(運動)することで四季の変化や身近な風景も感じられ気持ちも落ち着いて くる。
※運動・休養
体力に合わせてストレッチ、筋力体操、有酸素運動など毎日行う。体力と免疫力がつき回復力が付く。また、外に出ることで 季節の変化を感じながら気分展開もになる。
※サークル(オストミー協会)
同じ病気の集まりなので、気楽にお互い本音で悩みや日常生活につい話し合うことで心が安らぐ。プラス思考にもなる。
◎膀胱がんの有名人
俳優
松田優作 菅原文太 黒沢年男
作家
立花隆(評論家) 田中康夫(元知事) やなせたかし(漫画家)
その他
竹原慎二(ボクシング王者) 小倉智昭(司会者・アナウンサー) 伊達みきお(漫才・サンドウィッチマン)
高須克弥(医師・高須クリニック)
※寛解
今年(令和3年1月)、術後から5年が経過し、担当主治医から「奇跡的」とまで言われたリンパ節転移も消滅したため、「寛解」ということになった。
しかし、食事を含めて基本的な生活習慣は今までどうり継続している。ただ温熱療法やサプリは中止し、ラジウム温泉は回数を減らし、他の温泉地を含めて行動範囲を広げている。
最近の実践
◎経験・実感から効果を感じているのは毎月のラジウム温泉とサプリ(ビタミンⅮ、免疫ケア乳酸菌、フコイダン)それに当たり前だが「食事」「運動」が基本的に自分にあっている
◎玉川温泉「北投石」使用の岩盤浴シート(アマゾンで購入)を患部に腰ベルトで固定し、冬は使い捨てカイロを載せて 日常使用している。(シート以外に腹巻や靴下など種類は多い0120-83-5765)
※令和元年に「アンコールワット ・ハーフマラソン」(カンボジア)に出場。遺跡の周辺をさわやかに完走した。遺跡・市内を散策したのも気分転換になった。また、その後「東京マラソン」を2年連続参加したり、「花の百名山」を含めた登山も楽しんでいる。
ハイパーサーミア 治療病院として何か所かあるが価格・通院等考慮する。(8回で2万円位)
◎埼玉県桶川市「埼玉県央病院」(高速・桶川加納IC 5分)(桶川駅から送迎バス)専門施設ではなく、ごく普通の治療だが通院は便利。
◎群馬県高崎市「日高病院」(高速・前橋IC5分)ガンの専門医が紹介状をもとに毎回診察・診断し、ピンポイントで丁寧な治療をする。