百名山11~20

「日本百名山」11~20 
   11.八甲田山  12.八幡平  13.岩手山  14.早池峰山  15.鳥海山 
   16.月山   17.朝日岳   18.蔵王岳   19.飯豊山  20.吾妻山 

11.八甲田山(はっこうださん)(1584m) 青森県   昭和41年5月  

 青森駅から早朝、十和田行きのバスに同級の飛内、馬場、桜井らと乗り込み、酸ヶ湯温泉・登山口から登り始める。霧の中、まだ残雪が残る登山道を登る。2時間ほどで山頂に着いた。山頂は霧と強風で展望はなかった。山頂下の窪地で昼食をつくりながら休憩。1時間ほどで下山。登山口の酸ヶ湯温泉に浸かる。この初登頂から10回以上、スキー登山を含め入山している。 

       濃霧の山頂にて                   仙人岱湿原

◎昭和44年10月
 青森からデパートの同僚、横浜と酸ヶ湯温泉から沢を詰めながら山頂へ。紅葉真っ盛りの沢登りであったが、時間がかかりすぎ途中から登山道へと入った。下山後は、酸ヶ湯温泉近くでテント泊。                                  ◎昭和45年3月
 酸ヶ湯から積雪の残るルートを仙人岱避難小屋まで行き、ここから荷物を置いて、スキーと羽毛服のみで八甲田大岳を目指す。登頂後、雪山のうえ霧が濃くなり、ルートが分かりづらくなった。日が暮れかかったので山頂下の誰もいない大岳避難小屋へ避難。羽毛服一枚のみで、下半身が相当に寒く、寝ることはできなかった。翌日、霧は濃いがなんとか昨日のルートが雪の上に残っていた。1時間後、無事に食料と荷物が置いてある仙人岱ヒュッテについた。翌日から食料がなくなるまでの5日間、スキーと散策を中心にした仙人状態の生活をおくった。                                    

          仙人岱避難小屋(平成20年10月8日の登山時に撮影・当時のまま) 

 

◎八甲田山(1584m)青森県    平成20年10月8日
  7時半、酸ヶ湯温泉から紅葉の中を登り始める。8時過ぎ展望が良くなり、紅葉を前景に遠く岩木山が望めた。8時30分に仙人岱に着き、避難小屋に寄る(40年前に何日かすごした想いが甦る)。ここからひと登り、9時35分に広々した山頂に着いた。天気も良く、紅葉に輝く八甲田の山々や陸奥湾まで見渡すことができた。昼食後の9時50分に下山。樹林帯を下り毛無岱の湿原の木道を緩やかに下っていく。360度見事な紅葉に囲まれ、背後には八甲田大岳連山が控えていた。写真を撮りながら下り、11時45分に登山口に着いた(猿倉温泉泊)。翌日、奥入瀬渓流等を散策し浅虫温泉。10日、下北半島、薬研温泉。11日、同窓会へ。  

                             上毛無岱より下毛無岱の紅葉の池塘

       奥入瀬渓谷                        酸ヶ湯・地獄沼より八甲田大岳 

     青森県下北半島・霊所  恐山                   下北半島・尻屋岬      

◎権現岬  青森県       昭和42年6月25日
 同級の金井と自転車で弘前から津軽半島・小泊岬にある権現崎を目指す。狭い小泊の集落を抜け、岬の断崖から登り始める。狭く急な岩場の登りを1時間近くかかり山頂へ。断崖絶壁で、真下に灯台そして日本海が広がっていた。昼食をつくりしばらく絶景を堪能した後、下山。夕暮れに染まる岩木山目指して自転車こぐ。

12.八幡平(はちまんだいら)(1613m) 岩手・秋田県   昭和42年8月15日

  8月14日、岩手県・岩泉の竜泉洞から盛岡・好摩の同級・小笠原の家に泊まる。翌日、松川温泉から八幡平を目指した。霧が濃い中を登り、八幡平の山頂に着く。山頂といっても平坦で樹林に囲まれ展望はなかった。沼地や湿原を越え、無人小屋の三石山荘に泊まる。数人が泊まっていた。

13.岩手山(いわてさん)(2038m) 岩手県      昭和42年8月16日

  三石山荘を早朝に出発。天気はあまり良くない。登るにつれ、霧と雨が強くなってきた。
 山頂付近は仏塔が立ち並んで道標状態ではあったが霧に吸い込まれて不気味であった。下山は盛岡・柳沢方面へと下る。途中の避難小屋から天気は回復し、昼過ぎに盛岡に着いた。翌日、花巻に向かう。

   八幡平・三石山荘付近より三石山                岩手山山頂外輪登山道の仏塔

岩手山   昭和46年8月
  静岡県・富士市で高圧線を張る仕事を休んで、安寿会の山行に同行。松川温泉から八幡平、裏岩手山を縦走し岩手山へ登る。好天気に恵まれ快適な3日間を過ごすことができた。岩手山・山頂付近のガレ場に駒草が群落となって咲き誇っていたのが印象的であった。   

   8合目・避難小屋にて、安寿会の面々と             山頂尾根より安寿会一行      

14.早池峰山(はやちねさん)(1917m) 岩手県      昭和42年8月19日

  8月18日、同級の飛内、馬場、小原と花巻からバスで大迫・岳の集落へ。早池峰神社へお参りし、12時過ぎ、林道をしばらく歩いて無人の「うすゆき山荘」前にテントを張る。翌日5時、出発。林道を歩いて登山口の河原坊からダイレクトに山頂を目指す。樹林帯を過ぎ、岩場にさしかかる頃、早地峰うすゆき草がたくさん見られるようになってきた。好天気の中、7時10分に早池峰山についた。山頂からは、北上の山々が360度見渡すことができた。30分ほどして北上山地を切るように縦走する。岩場の上り下りをくり返し、中岳から鶏頭山を越え下山にかかった。12時に岳部落に着き、バスで遠野に向かった。

   登山口のうすゆき山荘前                        山頂下の岩場にて 

14-2早池峰山(はやちねさん) 岩手県  昭和44年8月
山岳会の安寿会のリーダーとして早池峰山を目指す。花巻の公園で後輩・藤田とビバークし、翌日15人ほどのメンバーと合流して登山口の大迫に向かう。うすゆき山荘で遅くまで酒盛りをして、早朝出発。昨日の酒がまだ残っていてきつい登りとなってしまった。途中に咲く薄雪草(エーデルワイズ)に励まされながら登る。 山頂から今度は反対側の岩泉方面に下山。海岸でまた、酒盛りが始まった。

    登山口にて安寿会メンバーと(昭和44年)      早池峰山山頂にて(昭和44年)    

15.鳥海山(ちょうかいさん) (2236m)山形県     昭和42年7月28日

 7月27日、自転車による日本一周の途中、酒田に自転車を置いて、バスで登山口の湯ノ台鉱泉に向かう。3時、ここから登り始めた。横堂を過ぎ、河原のそばにある「滝の小屋」の山小屋に5時20分についた。翌日、天気の様子をみながら8時30分に出発。樹林帯を抜けると岩場や雪渓が多くなってきた。11時に山頂下の神社に着いたころ霧が濃くなってきた。ここからひと登りで山頂に着いた。霧で何も見えなかった。
 12時に下山。反対側の鉾立・象潟(キサガタ)に向かう。広々としたお花畑や草原を過ぎ、雪渓を下る頃、霧で道を見失ってしまった。しばらく周囲を歩き回っていたら、林道の工事跡にぶつかり、これを頼って3時30分に鉾立の登山口に着いた。ここからバスで下り、象潟の海岸で海水浴をした後、テントを張って泊。

                                   山腹の宿泊地の滝の小屋から鳥海山

       下山口の鉾立                           滝の小屋前の河原で夕食準備

15-2鳥海山 (2236m) 山形・秋田県     平成21年8月4日

  7時過ぎ、湯の台温泉から車で林道を30分ほど登り、滝野小屋駐車場に着いた。8時に登山口から25分ほど登り滝野小屋に着く。40年ほど前、改築前の小屋に宿泊した場所である。ここからは急な斜面を直登気味に登る。暑くて厳しいが、お花畑をながめながら登っていく。9時前に河原宿のなだらかな道になる。やがて雪渓があらわれ30分ほど登る。再び急な道を1時間ほどして外輪尾根に出ると、山頂が目の前に迫っていた。七高山からいったん下り、岩のゴロゴロした間を登って11時20分に最高峰・新山に着いた。天気は良いが、ガスがかかり展望は余り良くなかった。昼食後11時50分に下山。元の道を快適に下る。天気は良く、河原宿のお花畑は青空に映えて見事であった。2時25分に元の駐車場に着いた。

                                  外輪山の七高山下部より最高峰の新山を

◎日本国 (555m) 新潟・山形県  平成21年8月5日

 8月3日に玉川温泉から秋田県の亀田城(松本清張「砂の器」)や象潟(奥の細道)等を周り、鳥海山登頂後の5日、湯の台温泉から南下し新潟県北部の『日本国』という気になっていた山を目指す。 鼠ケ関を過ぎ、15分ほどで小俣宿に着く。11時15分、登山口から登り始める。低山らしい樹林帯の道を登る。途中3カ所ほど休憩場所があるが流していく。12時20分に避難小屋がある山頂に着いた。やや広々としているが、樹林と曇りで展望はなかった。10分ほどで下山。蒸し暑い中を下って1時10分に登山口に着いた(誰とも会わなかった)。登山口の休憩場で昼食後、小俣宿集落を見学。温海温泉に泊。

16.月 山(がっさん)(1984m) 山形県     昭和42年7月29日

  7月29日、象潟を立ち、鶴岡からバスで月山7合目に向かう。3時30分、7合目・合清水より登り始める。剣が峰を過ぎ、弥陀ガ原あたりでは湿原とお花畑が見事に広がっていた。しばらくして雲海が広がりはじめ、雲の上から鳥海山が頭を少しだけ出していた。5時20分、月山山頂に着いた。夕方、日本海に沈む夕日は初めてみる感動的な光景であった。翌日、ご来光を拝み、7時30分に下山。湯殿山をまわって、9時に仙人沢の登山口に着いた。

     日の出前の月山山頂                      8合目付近より鳥海山方面を

17.朝日岳(あさひだけ)(1870m) 山形県    平成13年8月6日

  5時15分、朝日鉱泉を出発。しばらくは川沿いの緩やかな道を歩き、6時40分に二股に着いた。ここから3時間ほど急な登りが続く。途中の水場で一息入れながらひたすら登る。やっと山頂下あたりから展望が開けてきたころやや緩やかになってきた。10時15分に大朝日岳山頂に着いた。霧が流れていて、展望は切れ切れである。10時40分、下山。朝日岳避難小屋を過ぎる頃、山頂部は霧で覆われはじめてきた。銀玉水で水を補給後いったん下り小朝日岳への急な登りが始まる。12時10分、やっと山頂。小休止の後、1時間ほどで鳥原山へ。ここから下りに入るが、金山沢あたりから何度も上り下りがあり相当にこたえた。4時過ぎ元の朝日鉱泉に着いた。11時間も歩き続けたことになる。
 翌日、山寺と羽黒山へ。さらに次の日30mの高さから温泉が流れ落ちる秋田県川原毛大湯滝に浸かり、鳴子温泉、北温泉へ。

                                    山頂下部縦走路より大朝日岳

 18.蔵王山(ざおうさん)(1841m) 山形・宮城県   昭和42年8月1日

  山形から山寺に寄り、自転車で蔵王に向かう。刈田岳から蔵王山最高峰・熊の岳の縦走路はお釜と呼ばれる火口湖を眺めながらの快適な尾根歩きを楽しむことができた。午後に、刈田峠から長い栗子トンネルを抜けて米沢に泊まる。(自転車による日本一周・東北)

18-2蔵王・熊野岳 (1841m)  山形・宮城県     平成15年8月3日

  昼食後、1時20分に蔵王・刈田岳から登り始める。とは言っても、ゆるやかな広い尾根道である。しばらく右手に蔵王のシンボルである『お釜』を眺めながら歩く。30分ほどして山頂へのガレた道を登り、2時に誰もいない蔵王最高峰・熊野岳に着いた(今回で3回目)。残念ながら周囲はガスっていて展望は得られなかった。山頂の尾根道をしばらく進んでお釜を目指して下り、元の道に出て、2時30分に刈田岳に着いた。 蔵王周辺を散策し、遠刈田温泉に泊。 

                                 登山道よりカルデラ「お釜」

19.飯豊山(いいでさん) (2105m) 山形・新潟県   平成7年8月9日

 9日、5時、飯豊鉱泉から車で川入の登山口まで行き、5時30分に出発。単調な急登が延々と続く。2時間ほどで尾根の縦走路に着き、重厚な山々が周囲に迫ってくるようになった。やがて、見晴らしの良い快適なやせ尾根を進んで9時に三国山についた。三国山頂小屋から北の縦走路を登り返して、10時30分に切会小屋についた。30分ほど昼食休憩後、飯豊本山へ出かける。しばらくは岩場の尾根道を登り下りしながら、1時間ほどで飯豊神社と本山小屋に着いた。さらに霧が濃い中を緩やかに登って、12時30分に飯豊山山頂に着いた。山頂には誰もいなく、霧で周囲の展望は得られなかった。しかし、山頂近くのお花畑は見事であった。10分ほどで下山。元の道を戻り2時30分に切会小屋に着いた。夕方には夕暮れに染まる飯豊連峰の山並みが輝いていた。10日、6時、小屋を出て元の登山口に9時40分に着いた。

 喜多方を見学して昼食後、約2時間ほどで飯豊鉱泉に着いた。前日まで6月の集中豪雨のため鉄道や鉱泉までのバス道路が決壊したため不通になり、宿泊客が2名という状態であった。おかげでのんびりと狭い鉱泉に浸かることができた。
 早朝5時10分、前日に用意してくれたお握り2個の食事すませ薄暗い中を出発する。5分ほど車で林道を走り、御沢キャンプ場の駐車場に止めて、5時30分に歩き始める。まもなく登山口。単調な樹林地帯の急登が延々と続く。6時30分途中『中十五里』でちょっと下った所にある水場から水をくんで小休止。7時40分に横峰小屋跡(小屋はない)に着く。ここまではきつい登りである。間もなく尾根の手前にある水場につき一息いれる。急で単調な登りが終わってやっと縦走路につく。ここからは、遠くガスっているとはいえ重厚な山々が迫ってくる。やっと周囲が見渡せる。飯豊の重厚な山々など見晴らしのよい快適なやせ尾根の登山道を進む。 9時、三国岳山頂にある小さな小屋裏で15分ほど小休止し縦走路をいく。ほとんど人に会わず10時30分、切会小屋に着いた。宿泊の手続きをし、30分ほど昼食をつくって休憩する。時間が予定より早かったので飯豊本山まで往復をすることにした。しばらくは岩場の尾根道を登り下りをしながら行く。姥石、わらじ塚など山岳宗教の名残が多く残っている。1時間ちょっとで飯豊本山手前の飯豊神社を祭っている本山小屋に着いた。12時20分に出発。ここから霧が立ちこめる岩だらけの中を進み、飯豊本山に12時30分に登頂。山頂には誰もいない。周囲は深
い霧でほとんど見えない。また山頂という感じはなかった。10分ほどして下山。 曇の中、来た道を戻り、2時30分切会小屋についた。夕食の準備をし夕暮れに染まる山々を見ながらのんびりと過ごす。小屋には数人しか泊まっていなかった。
 次の日、朝食前にご来光を見ようと思ったが雲が多く残念であった。6時に小屋を出発。7時、三国岳。8時に尾根道からそれて長い下り坂を下っていった。元の登山口・御沢についたのは9時40分であった。

                                 切会小屋から早朝の飯豊連峰

20.吾妻山・一切経山(1949m)福島県   昭和42年7月3日
  あずまさん・いっさいきょうさん

  福島からバスでスカイラインの吾妻小富士・浄土平で降り、9時に一切経山へ向かう。火山の噴き出しが所々に見られる岩場の道を登り、10時に山頂についた。そこから五色沼へ向かったが、霧が出てきて何も見えなかった。再び、山頂へ引き返した。山頂からは垂直に近い岩場をダイレクトに下っていった。11時30分に元の浄土平につき、吾妻小富士を一周して1時にバスで土峠に向かった。

                                   吾妻小富士山より一切経山を

20-2吾妻山(あずまさん)西吾妻山 (2035m)山形・福島県   平成7年8月10日

 裏磐梯から白岩温泉・天元台まで行き、ロープウェー終点の登山口を1時30分に出発する。やや広い森林地帯道を15分ほど登り、湿原の尾根道に出ると周囲の吾妻連峰が見え、見晴らしも良くなってきた。高層湿原の木道の快適な道をしばらく行き、2時20分に梵天岩のピークに着いた。岩がゴロゴロしていて霧が濃いと迷いやすい場所である。ここから縦走路を離れ、吾妻山最高峰、西吾妻山に向かう。ぬかるんだなだらかな登りを15分ほどして山頂に着いた。山頂は樹林に囲まれていて展望はなかった。2時45分、下山。元の湿原地帯を通り、もう一つのピーク人形岩を回ったが、残念ながら霧で周囲の山々はほとんど見えなかった。3時30分、登山口に着き、近くの白布温泉に泊。 翌日、大学寮の同窓会(さわらび会)が弘前であり、半数以上が出席、大盛況。

     梵天岩湿原尾根より霧の西吾妻山を                樹林に囲まれた吾妻山最高峰の西吾妻山