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「挨拶と笑顔」でなんとかなる
長い人生の中で、人それぞれに転機となる時があるかと思います。そこで私の若いとき転機となった出来事を振り返ってみたいと思いま す。
まず学生時代の成績は「優」が1つ(体育実技・1単位)のみで、ほとんどが「可 」という見事な落ちこぼれでした。しかも、内気で赤面症のため人前で話をすることができず、教育実習にいたっては最下位の評価で、お情けで救ってもらいました。その為、卒業後は様々な職を転々とする中途半端な生き方を送っていました。まず卒業して最初は、デパート勤務でしたが、1年で退職。そしてバイト生活をしながら山や八甲田山で山籠もりの生活していました。その当時に知り合った男性に誘われて静岡県・富士市で高圧線鉄塔建設の仕事をすることにした。
1日の日当、3食付き3500円という当時としてはかなり高額である(デパート勤務の月給が3万円程度の時代)。4月後半に静岡県富士市の山奥のプレハブの飯場で、男ばかり10数名の生活が始まった。仕事は、山奥の高圧線鉄塔の支柱を建設していく基礎作業である。もちろん車や重機機材は入らないので、林道から作業道具を背負い山奥をかき分けて簡単な資材置き場をを転々と作り、そこへ、ヘリコプターでセメントや水の入ったドラム缶等の資材を下ろしていくことから始まる。そして、図面に従って穴を掘り、型枠と鉄筋を組んでコンクリートを流し込んでいった。重労働で雨の日以外は休みなしである。おかげで、ひと月10万円以上の貯金をすることができた。ここを半年ほどで退職。
その後、その資金を元に海外へ放浪の旅にでかけてみることにした。当時は今と違って各国の違いが鮮明で情報も少なかったが、海外へのあこがれもあり、何か自分を変えてくれるのではないかと考えたからである。
当時、海外へは1ドルが360円の時代で、ソ連経由が一番安かった。まず横浜港から3日間の船旅でソビエトのナホトカに到着。そこからシベリア鉄道でモスクワに向かった。単調な旅ではあったが、船や列車は広々としていて食事も良かった。モスクワでは地下鉄が5円で回れるほど安く、ホテルも立派であったが、石鹸やトイレットペーパー等の日用品は貧弱であった。
ここまでの道中で一緒になり、知り合った同年代の多くの若者達の将来に対する熱い思いに触れることができ大きな感銘を受けた。(本ホームページ「海外放浪」参照)
その後北欧から主にヒッチハイクでヨーロッパ各地を転々と周り、そこからアフリカ、中近東を回ってに行くと、生活・習慣や食事が日本とはもちろん各国によって大きく違い、その差に驚かされた。何より、人と人との関わりがまず大切であることが身にしみるようになる。いかに自分を出していくか問われる。文化はもちろん、生活習慣の大きな違いを少しでも近づけるにはどうすれば良いかということが、重要である。
そこで体験・体得したのが、とりあえず「挨拶と笑顔」があれば何とかなるということであった。見知らぬ人と半歩でも心が近づくことができれば、行動範囲が広がっていくのが分かってきた。ぞのため、できるだけ現地の言葉で「こんにちわ」「有難う」等と明るく言うだけで少しは打ち解け自信もついてきた。
そして最後に、再び西ドイツに戻り、ミュンヘン・オリンピックで、旅行代理店の日本人向け市内案内のアルバイトをして帰国した。
「岩木山」知られざる霊地
富士山をはじめ、日本の山のほとんどは、神仏の領域として崇められてきていました。そこで、その中から、若き時代に青森県で生活をしていたときに何度も登った「岩木山」(津軽富士・おいわきやま)の知られざる神仏霊域を紹介したいと思います。
岩木山の山頂へは、主に表登山道である岩木山神社やスカイラインから登る人がほとんどですが、他にもいろいろなコースがあります。その中でも交通の便が悪く、一般の人にはあまり知られていない「赤倉登山口」から登る登山者は、それほど多くありません。赤倉登山口は、岩木山鬼門の「赤倉」という集落にあります。集落といっても一般の住居はありません。ほとんどが神社仏閣で、独特の建物が狭い沢沿いに数十軒集まっているだけ。赤倉登山口周辺は、一般集落とは異なる一種特別な光景である。今でこそ舗装された道路があり、建物も立派になっているが、かつてはバス停集落のリンゴ畑から草原の砂利道を1時間ほど歩いていかなければならなかった。
この異様な光景の赤倉地区は、青森県・津軽地方でカミサマと呼ばれる人々の修行の場として昔から信仰を集めてきた地でもある。ここ赤倉修行場で修行し、神的な力を備えた人を青森県・津軽地方ではカミサマと呼んでいる。「神様」ではない。神を拝んで占い、神的な能力を認められた民間の祈祷者が「カミサマ」である。全国的に有名な恐山のイタコは、どちらかというと仏教系で亡くなった仏とコンタクトをとるのに対して、神様との仲立ちする人を「カミサマ」と呼んでいる。その為、津軽地方では引っ越しだ、結婚だ、病気だと、ことあるごとにカミサマに頼っている人も多い。今でも人生の節目に神の神託を得ようと、カミサマに相談する風習が残っている。
そのカミサマの修行の場として、昔から岩木山の北側にある赤倉地区に多くの行者小屋が集まっていた。当然、独特の霊気が充満していて、今でいうパワースポットでもある。その修行の場である赤倉沢には、滝や急峻な岩場があり、古くからここを修行行場として知られ、また数々の異人伝承に彩られた異界空間を形成してきた。この沢で苦修行し、山中へ消えたとされる行者の数は多い。このようなことから、いつしか霊験豊かな赤倉沢を修行の場として行小屋を建て、信者が集まるようになり、今では、その数20軒を超えるまでになっている。中には何十人も信者を収容できる宿舎や、大規模な拝殿を備え「神社」を名のるまで発展したものまである。さらに仏教系寺院も数社点在している。そのため、今でも霊気が漂っている特殊な場所である。ここが岩木山への知られざる登山道「赤倉登山口」である。
自分も青森県在住時代の若いときに、この赤倉集落の神社を初春に泊まりによく出かけた。夏には困難な赤倉沢も残雪で歩きやすく、下りはスキーで一気に降りてこられるからである。さらにこの時期には、信者もほとんどなく、カミサマだけのことも多い。その為、雪かきや薪割りなどを手伝いながらのんびりと数日過ごすことができた。勿論朝早くから礼拝をしていたが、食事や宿泊はタダである。今では懐かしい仙人になったような生活が思い出される。
かつて全国各地にあった山岳霊場は時代とともに忘れ去られ、本来山が持っている霊的な力も失われてきた。しかし、日本の山の魅力は、このような霊峰・霊域にあるのかも知れない。